大阪エリアガイド
大阪で賃貸マンションやアパート、住宅、オフィスをお探しの方に役立つ大阪エリア情報
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大阪の繁華街 [ ミナミ ]
≪大阪の台所≫と称されている「黒門市場」の周辺には、「なんば・道頓堀・心斎橋」など大阪を代表する繁華街『ミナミ』が広がっています。『ミナミ』には、カニ・ふぐ・太鼓をたたく人形などの名物看板をはじめ、たこ焼き・お好み焼きなど≪喰いだおれの街・大阪≫の名に恥じない飲食店が数多く軒を連ね、さらに≪笑いの街・大阪≫を代表する吉本さんのNGK(なんばグランド花月)・松竹さんの角座などの大阪の笑いを肌で感じられる舞台やホールもあります。また、御堂筋をはさんだ西側には関西の若者のファッション・流行などの発信地「アメリカ村・堀江」があり、若者の街という面もあります。
最近では、難波パークスなどの新しい施設が次々と開発される一方で、道頓堀界隈には“夫婦善哉”で有名な法善寺横町など、≪古きよき街・大阪≫の一面も『ミナミ』にはまだたくさん残っています。
つまり、『ミナミ』とは、大阪という街を一ヶ所でまるごと味わえる、いわば【テーマパーク】のような所なのではないのでしょうか?
どうぞ、みなさん【テーマパーク・ミナミ】にぜひ一度訪れ、目で、耳で、舌で、そして肌でとさまざまな≪大阪≫を思いっきり味わって下さい。
大阪を代表する有名な日本酒 [ 銘酒「呉春」 ]
呉春は大阪府北部にある池田市に残る最期の自醸醸造元です。池田市は北摂山地と大阪平野の境目にあります。呉春は酒蔵の北側にある五月山から流れる地下水脈の伏流水を自家井戸から汲み上げて仕込み水として使っています。その伏流水が飲み飽きしないスッキリした味に大変貢献しています。
池田には現在2つの酒蔵しかありませんが、江戸中期には下り酒(江戸向けの酒)の産地として最盛期には38軒の酒蔵があったそうです。甘口の酒が流行っていた当時に、スッキリした味で辛口と評判をとり、一気に下り酒の名産地として名を上げました。
さて、呉春の名前の由来ですが、池田の古称「呉服(くれは)の里」と唐代の言葉で酒を表す「春」から、池田の酒という意味ですが、最初から使われていたわけではないそうです。江戸後期に池田に暫く滞在した画家の松村月渓(池田に来た後、呉服の里で春を迎えた事から改名して呉春)との縁からだそうです。
呉春に関するエピソードとして有名なのは、小説家谷崎潤一郎との関係です。先代の社長が潤一郎と交友があり、その縁で潤一郎の愛飲した酒が呉春だったのです。それともう一つは、90年代に酒蔵の北側にマンション建築の計画が持ち上がったのですが、伏流水の流れに影響が出ては大変だと地元住民や愛飲家の反対で中止になったのです。
このように、昔から多くの人達に愛されてきた池田の酒「呉春」。
是非一度飲んでみてください。
かん袋の由来とくるみ餅 [ くるみ餅 ]
かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。 二十七代 かん袋主人 敬白
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